うつ病40代サラリーマンの休職日記

東京から名古屋に左遷されうつ病になったサラリーマンの闘病記です。適応障害で異動願いを出しています

休職中 有給消化終了で給与大幅減少

こんにちは あぽろ です。

11月中旬で有給消化が終了しました。

つまり中旬以降は全て欠勤扱い。当然給与がざっくり削られます。

しかしながら、厚生年金、健康保険、各種税金おまけに社宅家賃.....。

全てはいつも通り控除されます。

 

事前に人事部から給与と控除の具体的な金額を教えてもらえていません。

給与口座の入金額を確認する時は、大げさで無く指が震えました。

 

まずは、ネットバンキングの残高確認..........。

 

若干ながら残高が増えていました。入金があったようです。

次は、入金明細の確認。微妙な金額ながら生命保険等の引き落としには

耐えられそうな額です。

心底、ほっとしました 。2回目の休職に入ってから初めてほっとしました。

 

しかしながら、給与20万円近くの減額と更に通勤手当3ヶ月分先払い分も

一気に減額されていた事にちょっとしためまいを覚えました。

 

覚悟していたとは言え、「えげつないですなぁ〜。」と浪速のあきんど風に

独り言を思わずつぶやいていました。

社会人になって25年社会保険料と税金を納める事が、ここまで重圧に感じた

事は初めてです。

また、社内業務に勤めた事が原因で、うつ病になった身としては弱者への配慮の

なさにもショックを受けました。

そして12月からは、完全に無収入の期間に突入します。

しかも傷病手当金を申請出来るのも12月に入ってからです。給付まで3ヶ月を

覚悟しなければなりません。

 

ネットで休職から傷病手当金を申請する流れを調べる事は出来ましたが、お金の

やりくりを語ったサイトはほぼ皆無でした。

 

皆さん貯金を切り崩してやりくりされていると思いますが、殆ど貯金なしで

いきなり休職になってしまった方も居ると思うのです。

しかし懐具合をネットにさらけ出すのは抵抗があるのでしょう。

私は、うつ病で休職する会社員の隠れた落とし穴が周知されていない不気味さを

感じました。

 

うつ病患者の最大の治療手段である休養、の次に大きな治療は収入安定(お金)だと

痛切に感じました。

 

・休職が続くと収入が厳しいので早く復職しなければ

・復職は難しそうだからとりあえず転職先を探そう

・何とか住宅ローンを支払い続けなければ

 

この様な動機で充分な休養を取らないまま、社会復帰して結局またうつ病再発。

様々なサイトを調べてみてこのパターンで悪循環に入ってしまう人がとても多い

理由が解りました。

 

申請から3ヶ月後の傷病手当金の給付を受ける事が解っていてもこの空白期間の

不安感は過大なストレスをうつ病に与えているのではないでしょうか?

 

SNSで知り合った方々と少し深く交流すると皆さん、初回の手当金給付までの

不安感を語られます。

 

元来、充分な休養が必要なうつ病にこの状況は病状の悪化の一要素になっていると

私は感じています。

 

私も、他人事ではありません。12月からの無収入期間でも社会保険料と税金、

そして社宅家賃を払い続けなければなりません。

人事部担当者からは、毎月会社に現金で振り込めと言われています。

せめて傷病手当金が給付されるまで待って欲しいものですがあくまで事務的に

通告されました。

何も悩まず、治療に専念したい身としては、こころにトゲが刺さった状態で日々を

過ごす事に不安を感じずには居られない気分です。

 

以前、NHKのドラマで好評だった「ハゲタカ」の台詞が頭の中に何度も浮かびます

 

「世の中は、金 だ!」

 

ある種の真理ですね。

 

ハゲタカ DVD-BOX

ハゲタカ DVD-BOX

 

テレビ版は当時すぐ購入して愛蔵品です。

気持ちが落ち着いてから改めて見ましたが見応えがありました。

  

産業医 という制度はご存知ですか?

こんにちは あぽろ です。

産業医 という制度どれぐらいの方がご存知でしょうか?

私は、全く知りませんでした。

主治医に、2回目の休職をする際生活リズムの記録を取るように用紙を渡され

「復職出来るかどうかは、記録した生活リズムを産業医が見て判断するのですよ。」

こう言われて不思議な制度があるものだ。と思った程度でした。

SNSで知り合った方から詳しい制度内容を教えて頂ける機会がありました。

 

教えて頂いた産業医に関する情報サイト】

産業医の関する関係法令

 

産業医について教えて下さい。|厚生労働省

 

労働基準監督署のパンフ

 

どうやら産業医の職務には大きく4つの責任があるそうです。

(1) 健康診断、面接指導等の実施及びその結果に基づく労働者の健康を保持するため

  の 措置、作業環境の維持管理、作業の管理等労働者の健康管理に関すること。

(2) 健康教育、健康相談その他労働者の健康の保持増進を図るための措置に

  関すること。

(3) 労働衛生教育に関すること。

(4) 労働者の健康障害の原因の調査及び再発防止のための措置に関すること。

 

産業医の設置にも明確な基準がありました

【50人以上の職場には全て選任する事】

正直驚きました。なぜこんな厳格なルールを今までよく知らなかったのでしょうか?

興味が無かった。会社からの告知が無かった。 多分この両方です。

そういえば最近耳にした事を思い出しました。

 

うつ病休職を経験した人事部担当者が主治医とは別に産業医に診断された

・家族が以前勤めていた会社ではメンタル不調者は産業医と面談していた

 

気付きました、休職を伴うような心身の不調が出た社員には、産業医の職務責任と

その権限を付与する責任をもつ会社として、産業医診断が必須なのだと。

 

名古屋で休職している今、私は人事部担当者に向けてどの様に産業医に診断して

貰えばよいかメールで質問しました。

返ってきた答えは意外なものでした。

 

「名古屋支店は50名未満なので、産業医も居ないし面談しなくて結構です。」

 

とにかく無駄を省こうとする会社の今までの姿勢で予測しないでも無かったのですが

明言されると嫌な気分になりました。

 

私の在籍するのはフランチャイズ向け子会社とは言え千人規模の会社です。

4月に分社化するまでは全社一体だったので二千人を超える規模です。

 

当然、法制上の産業医の設置義務を有しますが、地方の支店勤務ではその法制すら

適用する配慮をして貰えないと思い知らされました。

 

「本社勤務なら産業医面談を受けられるが名古屋に居るだけで受けられない。」

 

この待遇の違いに左遷された人間の悲哀を感じました。

一応、主治医との診断の際に、産業医が居ない旨説明しました。

主治医は、今まで見た事のない呆れ顔をしながらぼそっと言いました。

「生活リズムを記録しても意味がないなぁ.......。」

この様に言われて、何故か私が申し訳ない気分になりました。


主治医の診察が終わり、帰りの名古屋地下鉄の中で様々考えました。

労働者の健康障害の原因の調査及び再発防止の為の処置 を責任として有して

いる産業医とは是非とも面談、診断をして貰いたい。

そして、東京での復職と3度目の休職を起こさない再発防止の助言を会社にして

もらいたい。

この様なうつ病休職者の要望は、わがまま なのでしょうか?

f:id:cataway25:20160116094054j:plain 

精神科産業医が明かす職場のメンタルヘルスの正しい知識

精神科産業医が明かす職場のメンタルヘルスの正しい知識

 

 

傷病手当金 うつ病は私傷病ですか?

こんにちは あぽろ です。

11月30日を過ぎれば傷病手当金を申請出来る事で色々調べました。

色々と思うところが有りましたので、私見としてまとめたいと思います。

 

傷病手当金とは?】

・業務以外の私的な怪我、病気で健康保険から支給される制度

・4日間を超えて休業した場合支給される

・給与の3分の2相当が支給される

・同一傷病で1年6ヶ月支給される

 

ざっくり言えばこのような制度です。

 

私の事例では11月中旬まで有給休暇の消化で11月30日を超えなければ

申請すら出来ません。

健康保険の制度ですから これは理解できます。

 

では、私的な病気(私傷病)この条件はどうなのでしょうか?

私が、うつ病に陥った原因を考えます。

 

・上司、人事部の計画した左遷人事で名古屋に転勤

・転勤にあたり引継ぎ行為をしてもらえなかった

・転勤先の名古屋では、全く経験の無い業務を命じられた

・名古屋支店内で1回目の復職時に仕事がとろいと罵倒される

 

以上の様な理由で、うつ病となり2回目の休職に陥りました。

果たしてこれは、私的な理由の病気なのでしょうか?

 

「会社の命令通りに仕事をして病気になった。」

 

こうとしか言いようががありません。

しかし、有給休暇の消化期間が終われば単純に欠勤扱いにされました。

 

会社の命令通りに仕事をした結果病気になった社員は、私的な病気扱いとする

これでは、日本語として矛盾しています。

 

会社の命令とおりに仕事をした結果病気になった社員は、公傷扱いとする

これが、本来の内容だと思います。

 

実は、名古屋に転勤して早々通勤中に人と接触しそうになり転倒、足首靭帯断裂の

怪我をしました。人事部に電話1本で労災扱いになりました。

私の家族も以前職場で怪我をした際、すぐ労災扱いになりました。

 

何故か、精神疾患については一切この様な対応はありません。

巷でも、長時間勤務が原因で自殺した方の労災が認められるには裁判までしなければ

認められない状況です。

何かがおかしいと日々考え始めました。

傷病手当金の制度自体は支給に時間が掛かりすぎる事を除き良いものと思います。

日本が誇る健康保険制度です。

 

では、職場内で全て原因が揃った精神疾患になぜ労災が適用されないのでしょうか?

実務的には、労災では治療に掛かった費用が税金で保証されるだけで生活費への

保証がないので給与の3分の2が支給される方がよいだろう。

との配慮も見えます。

私も、人事部担当者との面談でその様に感じますのである程度は理解できます。

 

ただ、精神疾患に追い込まれた当事者としてはどうにも納得できないのも事実です。

会社内での人事異動、職場の環境、仕事内容等で精神を患い出勤出来なくなった

社員には一切給与は払わない、ただし社会保険、税金については会社に払い続けろ。

と突き放されている様にしか感じないのです。

 

もちろん傷病手当金が支給される迄の空白の約3ヶ月は、無収入の人間に

これを強いる訳です。


ここに、圧倒的に人事権で強者である会社が、移動の自由もままならない社員に

過大な自己責任を強要していると感じる次第です。

 

働かざるもの食うべからず。の前に社内で精神的傷害を受けた社員には復職までの

精神的、金銭的配慮を行い再度休職に陥らない努力をしてもらいたい。

 

以上、私見ではありますが当事者の正直な思いです。

f:id:cataway25:20160114230643j:plain 

 

うつ病で倒れる理由 複合したストレス

サラリーマンを25年やって来ました。

その間色々な事が有りました。

良いことも悪い事も。

 

悪い事があった時でも何とかやってこれたのは、何かひとつ楽観的に考えられる

事があったからです。

15年前からパニック発作を起こしていました。

恐怖で電車に乗れませんでした。

抑うつ状態で落ち込む事も多かったです。


でも、結婚をしたばかりで家庭に明るい未来を感じられて乗り切れました。


会社で仕事がうまく行っていなくとも人間関係が良くて乗り切れました。


人事の処遇が悪い時でも自分の仕事への誇りに前向きになって乗り切れました。


精神疾患を抱えていても何かひとつ楽観的未来を考える事が出来れば、病と付き

合って生活出来て居たのです。

 

うつ病で倒れる  今回初めての経験です。


なぜ倒れたのでしょうか?


それは、楽観的に考えられるものが何も無くなり、病に完全に支配されたからです。

複合したストレスに晒されると、こころは折れやすくなるようです。

 

【誇りを持っていた自分の仕事】

 会社に取り上げられました。

【職場での人間関係 】

 名古屋に受け入れられず最悪です。

【家庭の中】

 私の病が長引き家族も疲れています。

今や会社にも家庭にも楽観的に考えられるものは、何一つありません。


うつ病で倒れる と言う事は楽観的に考えられる事を全て失ったと言う事

なのでしょう。

今はただ、布団の中で嵐が過ぎ去る事を待っているだけです。


会社員に転勤や配属変えがあるのはつきものです。

永年勤めていれば良く解っています。

それでもこれまでのキャリアを考慮されず全くのゼロベースに戻される。

とは考えてもいませんでした。

 

主治医には、

「東京に戻ればあなたの病状はきっと良くなる。」

と言われています。

人事部にもこの事は伝えています。


ただ、何も改善される目処は立ちません。


私が楽観的になれるものが見つかるか。

 

うつ病から復活出来るかどうかは、この一点に掛かっています。

f:id:cataway25:20160114225105j:plain 

 

人事部面談 傷病手当金と休職中の社会保険の支払義務

こんにちは、 あぽろ です。

10月の最後の週に人事部担当者が名古屋に出張でやってくる事になりました。

夕方5時半に名古屋駅にて待合わす事となりました。

今回は、支店長は同席せず一対一の面談の様です。

 

メールでの事前の連絡にあった通り傷病手当金申請手続き」についての

伝達が主なテーマです。もちろん私の療養状況を確認する意味もありました。

名古屋に転勤して、2度目の休職、2度目の人事部面談です。

強い無力感に襲われました。

 

ただ、今後の傷病手当金に関する手続きを正確に確認しなければなりません。

金銭的に逼迫するのは明らかです。

 

当日は、かなり早めに自宅を出ました。

人事部担当者が一人で来るので、面談場所を自分で下見する事にしたのです。

電車に乗るのは最後に出勤して以来です。

 

左遷内示を受ける前、ほとんど吸っていなかったタバコも今は、1日1箱

吸うようになっていたので、面談も喫煙出来る落ち着いた場所にしたかったのです。

茶店を幾つか下見して、駅のビル最上階の喫茶室が静かそうで喫煙可でした。

 

名古屋駅までの移動、喫茶店の下見、繁華街をうろうろしただけで、もう疲れて

しまい帰りたいと感じていました。布団が恋しいです。

 

約束の5時半。

 

人事部担当者と合流出来ました。久しぶりの顔合わせですが、人事部担当者は

私の顔の無精ひげにちょっと驚いていました。

2度目の休職に入ってからひげを剃ったのは、1回だけでしたのでこの日も伸び

放題で、髪の毛も寝癖だらけです。

風呂に入ったのも4日前ぐらいだったでしょうか?

 

今回の休職は、それだけ生活そのものへの活力を奪っていました。

 

挨拶も早々に、下見をした喫茶店に移動し、オーダーももどかしくタバコを一服。

気持ちを落ち着けてから、近況報告をしました。

 

・殆ど外出出来ない

・殆ど布団の中で過ごしている

・家族の要望で最小限の食料の買い出しにだけ出ている

 

私の話を、人事部担当者は真剣に聞いてくれます。

彼もうつ病休職経験者です。

私より5歳程年下の後輩です。若干申し訳なくも感じます。

 

自分ばかり話すのも気が引けて来て、ちょっと話を振りました。

 

「担当者さんがうつ病で休職した時、どうやって戻れたのですか?」

 

ここから、人事部担当者の休職生活と復職の過程をしばらく聞き続けました。

間の手も丁度よいポイントで入れて、話やすくして傾聴してあげます。

4ヶ月休職した。途中で旅行に行った。4月に復職と同時に異動した......

 

少々話しを聞き過ぎました.......。

予定時間をオーバーしそうです。

ここでやっと本題の傷病手当金申請の手続き」に入りました。

 

「健康保険傷病手当金支給申請書」

 

というタイトルの健保組合の用紙を渡されました。

自身で記入する項目、会社側が記入する項目、そして主治医が記入する項目

大きく3つの項目に分かれています。

私の場合、まず療養期間を記入する欄が微妙でした。有給休暇を消化しながら

11月半ばから完全に休業状態になるためです。

ここは、人事部担当者から11月1日から11月30日までの月区切りの記入

でよいとの指示でした。

(会社の給与計算締め日に合わせるそうです)

 

もう1点厄介な所がありました。 主治医の記入する欄です。

 

これは、11月30日を過ぎなければ記入してはいけないそうです。

理由は、確かに11月30日時点まで療養していた。

と過去型での証明が必要との事

既に1月半ばまで休職の診断書が出ていて確実に11月30日までは休む訳なので

微妙に納得できません、が渋々承諾します。

12月にならなければ、傷病手当金の申請すら出来ません。

給付の条件に話は移りました。

 

・4日間以上の労務不能期間が必要で、4日目から手当金が支給されるとの事

・有給休暇使用中も対象とはならないとの事

・給付の最大期間は、手当金の支給開始日から1年6ヶ月との事

・支給額は、給与額の3分の2相当分との事(金額は明示されず)

・提出ルートは、私が主治医に意見を記入させ、人事部に送付。人事部が事業主

 としての証明項目を記入の後、健保組合に提出するとの事。

 (聞いているだけで手続きに提出までに時間を要しそうです。)

 

概ねここまでが、健保組合が管理する傷病手当金の内容と会社を通じた手続きの
流れでした。

 

次に、会社として休職者への処遇の説明がありました。

 

・休職前欠勤期間1ヶ月  1ヶ月無給の欠勤期間を置いて休職扱いとする。

・休職可能期間12ヶ月  勤続5年以上で認められる上限期間

通勤手当の前払い分返納 3ヶ月毎入金の通勤手当を出勤無くば返納する事

社会保険料       給与天引きが出来なければ会社へ振込

・住民税         給与天引きが出来なければ会社へ振込

・年末調整        会社で実行

 

聞いていて段々気分が悪くなって来ました。

 

なかなか手厳しい就業規則です。

恐らくどこの会社も似たような規則だと思います。

事前にネットで調べておいた内容に近いですが、正面切って書面と口頭で説明

されると納得出来ないものです。

いきなり無給の欠勤期間が設定されていながら、傷病手当金の申請は欠勤が続いて

からしか申請できません。

 

且つ、その申請から振込まで3ヶ月程かかるという事です。

 

無給の上、社会保険、税金は会社に降込め、という指示です。

 

手続き上はどうあれ、休む為にはまず現金を会社に払え 

というのがこの国の標準的労働条件の模様です。

 

また、私の会社では休職可能な期間が12ヶ月しか無い事が解りました。

 

人事部担当者が、当日名古屋から東京に帰らなければならなかった為、詳しく理由

付けまでは聞けませんでした。

 

私も、ここまでの条件提示をされて頭がいっぱいになっていました。

面談を終え帰路に着きながら

 

労働基準法での基準がどうなのか?

・月々の資金繰りを当面どうしようか?


この2点が頭の中でグルグルと堂々巡りをしていました。

f:id:cataway25:20160113135204j:plain

こういった労働条件についての知識も調べておいた方が良いと感じさせられました。
図書館に無ければ購入も考えています。

2015-2016年版 図解わかる労働基準法

2015-2016年版 図解わかる労働基準法

 
生活保護で生きちゃおう!  ―崖っぷちのあなた!  死んだらダメです

生活保護で生きちゃおう! ―崖っぷちのあなた! 死んだらダメです

 

  

障害年金 というものがあるらしいです

こんにちは、 あぽろ です。

傷病手当金の事を調べていて、聞き覚えのない言葉を見つけました 。

障害年金

初めて聞く言葉です。ただネット上の情報では、現役世代でも何らかの障害が

あれば請求出来るものだそうです。

もし、傷病手当金と同時に受給出来れば、収入減の多少の足しになるのでは?

と、ここでも勝手に都合のいい妄想をしてしまいました。

又、このまま無職になってしまったら?

という最悪の事態も頭によぎっていました。

家族と一緒に外に出る機会ができ、近所の本屋さんに寄った時にこっそりと

障害年金に関する詳しい本を探して、買っておきました。

誰も知らない最強の社会保障 障害年金というヒント

誰も知らない最強の社会保障 障害年金というヒント

 

家に帰ってちょっとお勉強です。

具体的に「障害年金」の受給条件を満たしているのに知らなかった方々が、

社労士に請求代行をしてもらって「過去」に遡って「障害年金」を受給されて

いる事例が記載されていました。

どうやら、働いていても請求する事が可能な様です。

15年程、メンタルクリニックに通っているものとしては不謹慎ながらちょっと

わくわくしてしまいました。

 

この本で理解した事を箇条書きにしてみます。

 

障害者手帳障害年金は基本的に関係ない

・初診日の証明が必須

・厚生年金、国民年金の支払いをしている事が必須

・初診日から1年6ヶ月経過しないと請求出来ない

・医師の診断書は必須

・請求時期を過ぎていても過去5年分は請求出来る

 

ものすごくざっくりとこの程度までしか、理解出来ません。

やはり年金を請求するという事で、手続きが相当ややこしいらしいです。

ただ支給が決まれば、安定的な収入にはなりそうです。

 

ちなみに、本で紹介された40代後半4人暮らしで2級認定を受けた会社員の

事例ですと

月額18万円 (厚生年金を支払っていた場合)

が諸々の加算分があり支給されるそうです。

確かに手厚い年金と感じましたが、手続きのハードルが高いです。

 

 

私の場合、15年前にメンタルクリニックに初めて駆け込んだ時は、

パニック発作」に悩まされ電車に乗れなくなった事が理由でした。

ただ、それ以前から長く憂鬱感や食欲減退、体重減少等様々な症状を発していました。

初診時に医師からは複合的な症状であった為か明確に病名を告げられませんでした。

 

そして、今、2回目の休職の指示を受けた際は、「うつ病」の診断書が出ました。

これまでに、2回の転勤を経て名古屋に居るので、通院した病院は4軒目です。

 

お手上げです。自分で手続き出来る気が全く起きません。

基礎知識として、本を読むのは必須と思いますが、実務上の事は、社労士に任せる

しかなさそうです。私は、名古屋に事務所がある社労士をネットで探しました。

 

●私が見つけた社労士事務所です。(リンク先が障害年金の問合せ専門サイトです)

社会保険労務士法人ステラコンサルティング

http://stella-sr.net/contact

 

こちらのサイトで、過去15年間の経緯と今の困窮状況を伝え、連絡を待ちました。

(ここは、メールでの問合せは無料でした。)

当日に返信が届きました。必要確認項目の聞き取りのメールでした。

 

・病気の解ったきっかけ

・初診時から現在までの病院名と時期

・初診時に厚生年金に加入していたか

・発症時は入社何年目だったか

・現在、健康保険からの傷病手当金を受けているか

・年金の支払いに未納期間があるか

 

私も当日の内に全ての項目を思い出して、返信しました。

通院履歴と病院名を思い出すのが大変でした。

翌日、ステラコンサルティングの担当の方からメールで回答が届きました。

 

障害年金の請求は可能です。」

「ただし、傷病手当金が支給されている間は調整されます。」

「殆どが、傷病手当金の方が高額なのでまだ請求しない方がよいです。」

「今は、傷病手当金を請求し、支給が切れる半年前に請求しましょう。」

 

障害年金請求は出来る状態でしたが、私が目論んでいた傷病手当金と二重で受取る

事は無理でした。

又、障害年金の請求は審査し決定するまで半年もかかることも解りました。

当分は、傷病手当金をあてにする他無さそうです。

 

ここまでのやり取りと結果を目にして、どっと疲れました.......。

また、数日間布団の中から出る事が出来なくなりました.......。

f:id:cataway25:20160113132827j:plain

立ち読みや図書館などでも参考にした障害年金の本です。

だいたい伝えようとしている事は似ていましたが、とても参考になりました。

 

障害年金の手続きから社会復帰まで

障害年金の手続きから社会復帰まで

 

 

障害年金・生活保護で不安なく暮らす本

障害年金・生活保護で不安なく暮らす本

 

 

休職中 収入、支出はどうなるのか?

こんにちは あぽろ です。

2度目の休職期間に入り2週間ほどすると長期戦の覚悟ができました。

しばらくすると、ある不安が頭によぎり出しました。

 

休職期間中の収入です。

 

休職の経験がある方は、皆さん不安になった事と思います。

私も我に返ったとき猛烈に不安になりました。

 

とりあえず使えそうな、有給休暇の残りを計算しました。

だいたい出勤日ベースで1ヶ月半ぐらいは収入を得られそうでした。

その先は恐らく、傷病手当金の申請になるだろうと推測しましたが

 

傷病手当金は、どこに申請するのだろう?

・人事部は何か手伝ってくれるのだろうか?

・実際にはいくら貰えるのだろうか?

 

具体的な事は、全然解っていませんでした。

布団の中で、スマートフォンを握りしめ休職された方の経験談や、傷病手当金

関するサイト等ずっと見ていました。

 

ただ、この頃はまだ活字が頭に整理して入って来なかったのです。

せいぜいキーワードが印象に残るぐらいです。

 

・1年6ヶ月  支給期間?

・3分の2   支給金額?

 

この程度です。浅薄な知識です。

これではいかんと思うのですが、まだ頭が追いついて来ませんでした。

 

活字情報は、あきらめ月々の生活費用の事を思い浮かべました。

給料から毎月控除されていたのは、いくらだったかな?

・健康保険

・厚生年金

介護保険

所得税

・住民税

雇用保険

 

そして忘れてはいけないのが、名古屋転勤により発生した

・社宅家賃負担

よく、社外の方に説明して驚かれるのですが、私の会社の社宅とは会社が指定

した不動産会社紹介の通常の賃貸住宅です。

しかも家賃は100パーセント負担

なのです。(保証金、更新料だけが会社負担です。)

当然、給料から控除される金額合計は16〜17万円に達していました。

3分の2 の支給金額

この額が明確にならないとやり繰りできるか、何とも判断が出来ません。

 

そんな事をぼんやり考えていた夜、人事部担当者から私用メールに連絡が入りました。

「名古屋への出張の機会を見て諸々手続き関係について面談しましょう。」

そして、締めの一文として

 

傷病手当金ですが、支給まで2ヶ月から3ヶ月かかるのでご注意ください。」

 

この一文に私は、凍り付きました。

私の会社は、大手の健保組合に加盟していたので、傷病手当金もすぐに支給される

ものと何の根拠も無く思い込んでいたのです。

抑圧的な職場なのでストレス発散の為、無駄遣いをしがちでしたので、貯金もほとん

無い自堕落な生活を送っていた事を心底悔やみました。

 

この日から、お金のやり繰りをどうしようか思いめぐらしました。

とにかく節約しよう。生活費の断捨離をしなければ.......。

部屋の中を見回しました、いっそ金目のものがあれば手放すかと。

 

有りましたというか、毎日眺めていました。

 

名古屋でゲーム商品の担当者になるのだから、と興味もないのに買った、PS4、

ニンテンドー3DSそしてそのソフト。高かったけど自腹で買ったのです。

少しは、内容まで勉強しなければとゲームもしてみましたが、心身の不調から

今では全く触っていません。

 

そう思うと、とても忌々しいものの象徴と見えて来てしまいます。

ゲーム機本体、ゲームソフト両方まとめてその日の内にゲーム買取店に売却に

行きました。

買った時の半額程度にしかなりませんでしたが、忌々しいものが部屋から消えて

何故かスッキリしました。

その次は、車検が迫っていた自動車。若干ローンも残っています。駐車場代も

毎月発生します。

 

手放す段取りをしていたら、これは家族に止められました。

 

「今の、精神状態でそこまで色々決断しないで。」

その通りかもしれません。

 

次は毎月の生命保険料の掛け金見直し。

契約当初から年数もかなり経ち何故か毎月の掛け金が、ずいぶんな額になって

いました。これは、保険会社の担当者に連絡し、私、家族双方の契約金を下げる契約

に変更依頼をしました。

 

ただ、やはり傷病手当金の額と支給時期が解らない事に不安は募るばかりでした。

f:id:cataway25:20160111110105j:plain

====================================

ゲームの商品担当者として購入して半年で売り払ったゲーム類です。 ↓

多少蓄えた知識では、PS4はグラフィックが高性能なゲーム専用機です。

ネット環境が良ければ色んな使い方ができます。最近安くなりました。

3DSはLLサイズを買った方が楽しめます。

どちらもゲーム好きの方にはオススメです。

(自分が売り払ってて言うのも変ですね......。)

 

 

New ニンテンドー3DS LL メタリックブルー

New ニンテンドー3DS LL メタリックブルー

 

  

 

バイオハザード リベレーションズ2

バイオハザード リベレーションズ2

 

 

休職から数日経ってみて

こんにちは、あぽろ です。

まともに目覚める様になった数日後。

記憶が途切れていた間のことを整理してみました。


どうやら、数人の友達に

 

「とにかく、会社を辞めてやる!」

  
というメールを送っていたみたいです。

 

普段読んでるだけの2ちゃんねるにも、いろんな書き込みをしていました。

他にも妙な事を多分していたんでしょうが、自傷行為はしていなかったので

よしと考えることにしました。


名古屋に来て2回目の休職になった事で非常に自己嫌悪に陥りました。

 
「もう、名古屋支店には戻れないし、戻りたくもないな。」

    
そう考える様になりました。

 

この間も、布団は敷きっぱなしで1日中布団の中です。


どうやら、生活の全てのモチベーションが無くなったようです。

前にも後ろにも動けなくなった、という感覚でしょうか? 

 
たばこを吸ってばかりでした。

 

うつ病にたばこはあまり良くないのかもしれませんが、吸ってるときは何かが

落ち着きます。今でもそうですが。

 

1回目の休職中は、散歩したりしましたが、今はとにかく何もする気が起きません。

お風呂もなかなか入れません。

 
2回目の休職は、かなり長丁場になる予感です。

 

うちのねこたちには、癒して貰うというか世話して貰ってるような感じでした。  

家族が理解してくれて食事の用意などしてくれたことで、とても助かりました。

もし、1人暮らしだったら、何も食べなくなっていたと思います。

食べようという意思すら失っていましたから。

  
3月に東京で左遷内示により陥れられてから半年。

何か長い間旅に出ていた気分です。

 

旅の終着点が、遠い名古屋の自室の布団の中というのがなんとも皮肉な感じです。

 

旅の始めは、とにかく「怒り」「絶望」これがエネルギー源となりあらゆる手段で

人事部などに訴えを続けていました。

 

引っ越しの荷造りや名古屋への異動が出来たのも、「怒り」のエネルギーのお陰です

体重は、55キロから49キロに激減しましたが、これは怒りのエネルギー源として

体の脂肪や筋肉が燃やされてしまったのでしょう。

 

旅の終着点の今は、全てに「諦め」を感じていたのでエネルギーはゼロです。

 

こころも体も動かなくなりました。

 

f:id:cataway25:20160111105817j:plain

うつ病 休職 2度目に突入

こんにちは、あぽろ です。

とうとう出勤時間になっても起き上げれなくなった朝。9月16日

実は、昨晩の社内公募不合格の通知を見てから数日間記憶が定かではありません。

余りに感情が大きく揺さぶられた為と思います。

会社が私に向ける排除の圧力の大きさに圧倒された感が強いです。


「そこまでして私を排除する意志は何なのか?辞めさせたいのか?」


そう感じていたことは、確かです。

 

 

「こんな仕打ちに会うのならもう、会社を辞めるしかない」


夕方、かろうじて駆け込んだ精神科の主治医に私は自分に言い聞かせるように

小さな声で訴えました。

主治医は、少し考えた様子で間をおき答えました。


「しばらく休みなさい。うつ病ですよ」

「傷病手当が1年6ヶ月出る。1年も休職すればもう1度会社で働こうと

 思えるかもしれないよ。」


断片的な記憶の中で主治医のこの言葉だけが印象に残っています。

 

再び休職の診断書を受け取りました。

はっきりと、うつ病と記されています。休職期間は1ヶ月。

自宅に戻り人事部担当者に写メで診断書を送りました。

早々に返信が来ました。

 

「名古屋支店長には、こちらから連絡します。休んでもらって結構です。」


ここで私は安堵の気持ちと共に何かがこころから消えていく不思議な感覚

覚えました。

 

朝から敷いたままの布団に潜り込みました。

定かでないものの断片的に覚えている記憶はここまでです。

翌朝起きたのか、数日間眠り続けたのか、本当に覚えていません。

 


2度目の休職が始まってしまいました....。

f:id:cataway25:20160111093657j:plain

1回目の休職後、私を心配した両親から手渡された 相田みつを の本です。

2度目の休職となった時、特にこころに染みました。

 

いのちいっぱい

いのちいっぱい

 

 

社内公募 人事異動は叶うのか....。

こんにちは あぽろ です。

人事異動公募に応募したことで、完全に折れていた、私のこころは何とかバランス

を保ちそうでした。


人事担当者の今後のスケジュールも社内のグループウェアから類推出来ました。

9月24日が面接合格者の最終確認会議の模様です。

それ以前は、面接用に東京本部中の会議室はビッシリ予定が埋まっていました。

上手く行けば10月初旬に内示が取れそうな気配です。


そんな、明るい未来への妄想のお陰でゲームに関するルーティンワークや改装店舗

に出向いて商品を並べるだけ、という学生さんのアルバイト的作業も我慢してやって

いました。

とは言え、B君に罵倒されて以降、私は週末の休み中完全に燃え尽きており1日中

布団の中から出られなくなりました。

所謂、引き籠もり状態です。


そんな私の不調を読み取った家族は、部屋を締め切り私を1人きりにしてくれました。

本当に申し訳なく思っていました。


そして、公募の締め切り日が過ぎ、9月に入りました。

すぐに呼び出しが来るわけもなく、そわそわしながら呼ばれるのを待っていました。

 

1週目が過ぎました.......。


2週目がやって来ました。

面接のスケジュール調整を考えるならそろそろ連絡が来ないと24日の最終確認会議

には間に合わない.......。


土曜日の夜まで、iPadで社内メールをチェックし続け待ちました。

何も連絡は来ませんでした…。

 

嫌な予感がし始めました。


3週目、また改装店舗に出向いて商品陳列の単純作業に駆り出されました。

なかなか社内メールをチェック出来ません。


嫌な予感は増幅していきます。


そして9月15日私は、ほぼ諦めた気持ちになり人事担当者にメールで問いかけ

ました。

 

「未だに、応募結果の連絡が来ないのは面接にも及ばず不合格ということですか?」

 

1時間程度で人事担当者から返信が来ました。

 

「少しお待ち下さい。夕方までにはメールで解答しますので…。」

 

何とも持って回った表現の返事です。


その日の商品陳列作業は、もやもやした気持ちのまま夜まで続きました。

店舗から帰る段階では、まだ解答が届きません。


数日間の立ち仕事で疲れた体を名古屋地下鉄に乗せ帰宅の途につきました。

念のため、地下鉄車内で社内メールを開きました。


人事担当者から解答のメールが来ていました。


「この度頂いた応募ですが、検討の結果 お見送り致します。」

 

それに続いて、転職サイトから届くテンプレ的なご挨拶文が続いていました。

 

「? ? ?。」

 

多少、覚悟はしていましたが、木で鼻を括るような表現で断られた事は確かの

様子です。

まるで、本当に転職サイトに登録して書類選考で落選して届いたメールそのままの

文章です。

驚きました、備品開発部門のリーダーからのメールでは、歓迎されていたと思って

いたので、最終結果はどうあれ面接には挑めると思い込んでいましたから。

 

・まさか、書類選考で落選

・尚且つ、こちらから問い合わせするまで連絡無し

・そして、まるで外部の中途採用希望者への回答の様なテンプレメール

 

現実を受け入れようとしても何か夢を見ている感覚です。

駅に着き、自宅まで真っ暗な夜道を歩きながら様々な事を思い出しました。

 

・3月中旬に上司に左遷内示を受け、上司が私のポジションを奪った事

・後任者が上司なのに業務を何も引継いでくれなかった事

・そして名古屋での罵倒を始め様々な侮辱

 

自宅の灯りが夜道の先に見えた時、

私のこころの何かがプチ!と切れる音がしました。

 

 


翌朝 私は出社時間になっても布団から起き上がる事が出来なくなっていました。

 

f:id:cataway25:20160108110414j:plain

うつ病 でこころが完全に落ちるとこうなるのですね。

定番作品ですが良く理解出来ました。

ツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)

ツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)