うつ病40代サラリーマンの休職日記

東京から名古屋に左遷されうつ病になったサラリーマンの闘病記です。適応障害で異動願いを出しています

名古屋支店から脱出しようと思います

こんにちは あぽろ です。

後輩B君から罵倒された夜、帰宅後眠れずに悶々としていたのですが、布団の中で

1つだけやった事があります。

 

人事部担当者に事の顛末をメールで報告したのです。

 

「復職が上手く出来ていない。」

「ペースを考えながら業務を進めていると周りからは、生ぬるいと思われている

 らしい。」

「あるスタッフから直接面罵された。」

「しかも、名古屋支店全体の意見らしい。」

「名古屋支店では拒絶されている様なので異動させて欲しい。」

 

 

正直な気持ちと事実を伝えました。


ほとんど、こころは折れてしまい翌日も会社に行きたくなくて猛烈に辛かったの

ですが、復職して間もない時期だったので自分を奮い起たせて平気なふりをして

出勤しました。


人事部担当者からは、「心中お察しします。云々....」とメールで返信は来ました。

一応同情はしてくれている様子です。

ただ、異動の希望については答えてもらえません。

この頃から、惰性で生きているだけの状態になっていました。

ただ丁度お盆休みが来てくれた事が弱冠の救いでした。


お盆休みは、ひたすら布団の中に逃げていました。

 

本当に胸が苦しくなる感覚を自覚しながらお盆休み明け会社に出勤しました。


例のごとく、大量の社内メールに目を通していると思いがけない全社員向けメールを

発見しました。

 

「 新規事業及び社内部門 人員公募のお知らせ」


驚きました。

 

会社創業以来初めての既存部門を含めた社内人事公募の案内だったのです。

案内の詳細を見ると8月末までの間に、社内掲示板サイトに記載の部署について

エントリーを行い

 

・応募の理由

・自己アピール

・持ちうる能力

 

などを当該サイトに入力せよとの事でした。

人事異動発令は11月1日それまでに、面接し合格すれば内示も出るとの事。

普通の転職サイトが求めてくる様な項目が明示されていました。

私は、「これしかない!」 と考えました。

異常な人事異動で、休職する程精神的に追い込まれても、異動希望を受け付け

なかった人事部です。

今回の様な正式な制度で異動を認めさせて、とにかく名古屋から東京に戻るしかない

と思ったのです。

大型店舗の新規プロジェクト類は競争が激しい事が予想されるので、通常の本部部署

で希望が少なそうな、尚且つ私の得意な業務が生かせるせるものは無いか探しました。

 

2つ見つけました。

 

一つは、所謂、契約書類を作成管理する法務的な部署。

もう一つは、店舗で使用する備品類を開発販売する部署です。

 

私は、店舗設備設計や調達を長年リーダーとして行って来ましたが、その関係で

取引先との契約書締結までの折衝から文案作成までしていたのです。

 

最終的にどちらの部署でエントリーを実施するか大いに悩みました。

 

そこで、備品類を開発、販売する部署のリーダーに、私の経歴で応募しても構わない

かメールで打診してみました。

ちょっとルールから外れているかと思いましたが備品開発のリーダーは以前の組織で

同僚だったので、本音ベースで話して貰えるかと思ったのです。

回答は快いものでした。

「あなたは、什器類や省エネ分野のエキスパートだし色んな仕事が出来そうです。

 どうぞ応募してください。」

正直とても嬉しかったです。

3月中旬に陥れられるような人事内示を受けて以来長らく、私の存在価値を認める

言葉を聞いていなかったからでしょうか?

 

私のこころは決まりました。

 

メールを貰った翌日、私は備品開発、販売の部署に異動希望のエントリーをしました。

もちろん、ありったけの自己アピールを添えて。

名古屋支店で打ちのめされ、こころが会社にいく事を拒絶し始めていた私にとって

社内公募制度」が唯一の希望でした。

「公募への応募結果が出るまでは、とにかく名古屋で我慢しよう。」

そう思えるようになりました。

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この当時にはまっていた漫画です。神様に見放された気分だったのでタイトル買い

したのですが当たりでした。

高校生の殺人マニアが、ものすごく不幸な女の子の仇をどんどん殺しまくります。

なんだか、もやもやしたものがスカッとした覚えがあります。 

 

 

 

  

  

名古屋で復職、だがしかし.....。

こんにちは あぽろ です。

名古屋支店復職初日 月曜日の朝礼で復帰の挨拶をしました。

「シーン.............。」

予想はしていましたが20人ほどのスタッフから、何の反応 もありません。

腫れ物に触るかのような雰囲気は感じます。

自分の席に座り、社内メールに目を通し始めました 。

他の会社の事情は知らないのですが、私の会社では一日一人50通は様々な

メールが社内で飛び交うので朝はまず目を通さないとマズいのです。

「...........  。? 」 「? ????」

メールの文章が頭に入って来ません!


メールは、とりあえず置いておいて、ルーティン業務を再度確認。

基幹システムから大量のデータを取り出しExcelでデータ抽出.....?

なんだか上手く頭が回りません。

復職初日は、これでは仕事が進まないと感じて定時で帰宅しましたが、程なく

現実を突きつけられた思いでした。

復職した事で、ゲームの担当者宛として私に店舗から電話問い合わせが増えました。

話しかけてくるスタッフは、雑用的業務を振る為だけに寄ってきます。

 

復帰早々から深夜残業が続きました。

 

そしてある日、店舗指導担当スタッフのB君(私より10歳程年下)よりある業務

の依頼を受けました。

「ゲームの売場を改装する作業の指揮を取って欲しい。」

また、一つ厄介な業務が増えました。

売場の拡大をする為に必要な情報を東京の商品本部と連絡を取って、実際に店舗

まで出向き什器を並べ替える。

そして、商品の並べ替えまでやってあげる必要があるそうです。

正直まだ、頭がついていっていないのですが、断るという選択肢はない様子です。

この改装業務の為のメールのやり取りが更に増える事となりました。

 

新しいアイテムも追加する為に東京の商品本部の指導内容に従わなければならない

そうです。

通常のメールを全て目を通せては居なかった状況が、更に東京商品本部、B君を

交えた店舗の改装調整まで含んで複雑な形に変化していきます。

 

店舗の改装オープンは7月中旬にプレオープン。8月上旬本格オープンとの事。

あまり時間的猶予はありません。

京商品本部といっても面識がある人は誰もいません。

日々冷や汗ものでしたが、7月中旬のプレオープンまではなんとか凌ぐことが出来

ました。

店舗設備設計をしていた経験が少しだけ生かされました。

続いて、8月上旬の本格オープン。ここでは、新規のアイテム追加の手配もしないと

いけません。

全然、業務が把握出来なくなってきました。

 

京商品本部からの問いかけのようなメール、B君から来ている問いかけのような

メール。

 

メールでの問いかけとは、どの程度のレスポンスで返すのが社会常識なのでしょうか?

 

ルーティン業務との併行となった中、東京商品本部、B君からの問いかけメールに

レス出来なくなって来ました。

 

ただ、答えが解らず、電話、口頭での問いかけも無かった為スルーした様な状況

になったのが正直なところでしょうか?

 

出たとこ勝負で本格改装オープンの手配、現地店舗での商品陳列作業、運営指導

など見よう見まねでやり切りました。

社歴の長さによる経験値と情報収集だけで乗り切った感です。

 

自分では、復職早々なんとか乗り切れて、お客様にも迷惑かけずに済んだと思って

いました。

 

そんなある日の夜、10時半過ぎぐらいでしょうか。ルーティン業務を経てもう

疲れたので、帰ろうと名古屋事務所を出る間際、B君とばったり会いました。

 

私   「お先に失礼します......。」

B君 「はい、あ、ちょっといいですか?」

 

呼び止められました。

 

B君  「いい加減にしてくれないですか?」

   「なんで、僕のメールに返事くれないんですか?」

   「正直むかついてるんですよ!」

   「東京商品本部とちゃんとやりとりしてくれないと僕が責められるじゃない

    ですか?」

   「店舗設計や調達では、社内で経験も長い大先輩でしょうけど、名古屋じゃ

    ただのゲーム担当者でしょ、ちゃんとやれよと言いたいんですわ!」

    「みんな何となく言い出しづらいから言わないだけですよ!」

 

一気に捲し立てられました。

日頃まじめなB君が真剣に怒っていました。

夜中の帰宅間際、10歳以上後輩に完膚なきまでに罵倒された私は、思い知らされ

ました。

「うまく復職出来たと思っていたのはただの錯覚で、名古屋支店スタッフから白眼視

 されている。」

 

名古屋支店に私の味方は一人も居なくて、完全に孤立していたのです。

 

この日は、結局朝まで眠れませんでした。

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みなさんの社内メールはどの様な位置づけですか?

私の会社では、全社共有情報、掲示板、業務依頼、チャット全ての要素を含んで

とても煩雑です。

急ぎの用件もメールだけで済まされてうっかり見落とすこともしばしばです。

メールはすぐに返信するな。

メールはすぐに返信するな。

 

  

メール文章力の基本 大切だけど、だれも教えてくれない77のルール

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名古屋支店に復職 1回目 

こんにちは あぽろ です。

1回目の休職中の人事部担当者、支店長との面談では何も解決しない結果

となり休職期間は

軽い散歩と布団の中の日々が過ぎました。

1ヶ月の休職期間の終盤のある夕方、人事部担当者から電話がかかって

きました。

復職出来そうか探りを入れたかったのでしょう。

私は、念のため今回の私の人事異動の異常性を改めて訴えました。

「今月で元上司K氏は定年だが、この上でも彼を定年再雇用するのか?」

「年度末の私の業務評価は実施されていないままだが、このまま終わらせるのか?」

人事部担当者の口は、とても重く歯切れの悪いものでした。

「あなたがどう感じようが、会社が一度決めた事は、どうにも出来ません。」

予想した答えですが、とても空虚な気分になった事を忘れられません。

 

ここで私は、精神状態の悪化した休職者が何を訴えても真剣に取り合わない、

という人事部の意思を強く感じ取りました。

(何を言っても、キチガイの戯れ言扱いだな........。)

次の主治医との診察では1ヶ月で休職はとにかく終えて復職するしかない。

名古屋でまず業務を続けて東京へ脱出する機会を伺おう。

諦めにも似た決意をしました。

 

後日主治医は診察の際、私の意見を聞き入れ、復職許可証明を書いてくれました。

復職日の前日は、夜震えました。

よくわからない恐怖感です。

何せ名古屋に赴任して実質1ヶ月程度で休職してしまった訳ですから。

(周りのスタッフにどう思われ、何を言われるだろうか.........。)

恐らく、うつ病等メンタル不調で休職した経験がある方はこの恐怖感を皆さん

味わっているのではないでしょうか?

悶々として朝を迎えました。

6月末の月曜日から私は、名古屋支店に復職しました。

(結果的にこの時の判断は良い結果にならなかったのです.....。) 

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図解 やさしくわかるうつ病からの職場復帰―復職を成功させるポイント

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休職中面談 人事部と支店長

こんにちは あぽろ です。

休職生活中の6月初旬。
初めて人事部担当者と支店長との面談に赴きました。

名古屋駅側の小洒落た喫茶店が面談場所でした。

・人事部担当者 30代半ば(実は自身もうつ病休職経験者)

・支店長    40代前半の明るくとても前向きなタイプ

・私      40代後半社歴だけは名古屋支店一番の古株

 

私が一番年長、古株の立場で面談してもらう。という状況に気後れする次第です。

挨拶、体調の確認をやり取りし、私が名古屋に赴任するまでに抱えていた元上司

との確執、異動にあたり受けた嫌がらせの数々について支店長にも説明しました。

 

・元上司K氏が、私の後任者である事を嘘をついて教えなかった事

・私が対応していた業務を、意図的に引継ぎしなかった事

・元上司K氏が、定年後の再雇用を目論み私のポジションを奪った事

・年度末の「業務評価」をして貰えないまま異動になってしまった事

 

又、今回の人事異動は実質的な降格である事に納得していない事も伝えました。

人事部担当者には以前より伝えていた事ですが、初めて聞く支店長は複雑に

こじれた状況に驚いている様子でした。

そして精神科の主治医から言われた精神状況改善についての見解も伝えました。

・早く東京に戻るべき。戻れば状況は良くなる

この内容は、人事部担当者、支店長ともに返事に窮していました。

しばらく、重い沈黙の空気が流れました............。

 

支店長が口を開きました

「東京に帰っても、元上司K氏が居るのであなたが困るんじゃないかな?」

人事部担当者が言葉をつなぎます。

「人事異動自体は、会社が決めた事ですからどうしようも........。」

確かに、町の精神科医の意見で会社内の人事を左右出来ない事も解ります。

このやり取りで面談では、私自身の環境が変わる事がないことを悟りました。

人事部担当者が続けます。

 

「まずは、1ヶ月間何も考えず休んで下さい。

 こころの風邪みたいなものですから。

 

とても場に則した、でも聞きたくはない言葉で締めくくられました。

風邪で1ヶ月も休む人は居る訳ないじゃないですか.........。

 

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モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする

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モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない

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左遷1ヶ月 での休職 

こんにちは あぽろ です。

精神科医の診察で休職すべし。

と判断されどこか肩の荷が解放された気分になれました。

ただ。

夕方、休職の診断書を受取り明日から急遽休むということは、今晩中に
根回ししないといけません。

・人事部の担当者に事の顛末を電話報告
・幸い診断書は、写メ提出でまずはオッケーとの事
・上司たちには、取り合えずメール報告

最低限の連絡は、入れましたがあえて自分の名古屋での雑用めいた業務の

引継ぎは、一切無視しました。

理由は、引継ぐまでの価値がない事。


複雑な作業をしてもアウトプットする情報は、業務で困った人間がほんの少し

手間をかければなんて事ない情報ばかりだったからです。

 

とは言うものの、社内でどういわれているか、取引先に不便をかけていないか

は気になります。ついつい社内メールを覗いてしまう日々が続きました。

完全休職モードまで1週間近くかかった気がします。

まだ、少しのエネルギーが残っていたのですね。

ただ、感情の暴走をストップさせ頭を冷やす期間が出来た事は、精神科医

感謝しました。

休職モードに入った後、東山動物園へ散歩したり友人と食事したりしましたが、

基本ずっと布団の中で引き蘢っていました。

 

日々やったことでは、ちょっとした散歩ぐらいです。

そんなある日、個人のGメールに人事部の担当者からメールが届きました。

「名古屋の支店長と人事部担当者と私で、面談をしたい。」

というものでした。

東京で受けた仕打ちは、名古屋の人たちには、伏せていましたので、一度支店長

には全て話そうと決めました。

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休職の決まった深夜や休職中よく見ました。

何故か涙が止まりませんでした。

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突然の休職1回目 精神科医の重い言葉

「君は、明日から休みなさい。」

精神科の診察室で私は、耳を疑いました。


しかし、精神科医の言葉は、断定的です。
私が転職するしかない、と決心したことを受けての言葉でした。

東京で不当な扱いを受けて名古屋に左遷された事、上司に嵌められてポジション
を奪われた事は、以前に話していました。

「君は、名古屋に居てもろくなことないのだろう?」
「長年、1つの会社に勤めていて辞めるのはもったいないだろう?」

言葉は続きます。

「今の精神状態で重大な判断はすべきではない。」

「まずは全般性不安障害で診断書を出すので1ヶ月休みなさい。」

正直呆気に取られて判断がつきませんでした。

診察の終盤、踏ん切りがつかない私の顔色を見て察した精神科医が言葉を
つなぎました。

 

「診断書を破いて、明日も会社に行っても止めはしないが後悔するよ。」

「診断書を提出して休職するのは労働者の権利だよ、この権利を使わない手

 はないよ。」

 

私の気持ちは、固まりました。

人事部に今夜、直接申告し明日から休職しよう。

こうして1回目の休職生活が始まりました。

 

現役 精神科産業医が教える 「うつ」からの職場復帰のポイント

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「職場うつ」からの再生

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今日判明したショック【マタハラ】

こんにちは あぽろ です。

 
昨年春からの私のうつ病休職の課程を記させて貰ってましたが、
今日、元の部署での酷い話しを聞いてショックを受けました。
 
6月に育休から私の元の部署に復帰した仲間が今日から部署異動していました。
本人の希望だそうですが理由は「マタハラ」でした。
 
とても優秀な仲間だったのにまだ一歳の子どもの育児中に出張、遠方の外出を強いられていたようです。
又、子どもの不調で行けなかったりしても何も理解、フォローをして貰えなくてとても悩んだ末に異動願いを人事部に出したそうです。
 
育児に配慮しなかった部門長に憤りを感じます。
この部門長は10月には別の部下をうつ病に追いやって休職させてもいるのです。
 
春先は、元部門長と結託して私を名古屋に左遷する暗躍もしていました。
 
今だに、部下に嫌がらせを続けていることを知り腹立たしさで今夜は寝付けそうにありません。
何か、罰を与えたいのですが方法が思い付かず悶々としています。
 

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【モラルハラスメント】東京での業務引継ぎを無視されました

こんにちは あぽろ です。

名古屋に転勤してから約3週間。


ほぼ、ゲームの前任者の業務は引き継いだ状態になりました。

ここで、私は本格的にややこしい状況に置かれた事を認識しました。

・東京で私が主体だった業務は誰も引き継いでくれていない。
・名古屋のゲーム商品の業務は自分でやるしかない。
・東京での取引先、お客様へほとんど異動の案内が出来ていない。

切実に困りました。

「本来の会社組織のルールでは、私の役職に後任者が居るなら、全てを
後任者に引継いで新任地に赴く。」

これが社会常識だ、と私は考えています。
ただ、今回は私の後任者は元上司のK氏です。

異動内示をする際に私に後任者が自分自身である、と教えなかっただけで
なく元上司K氏は
「俺は、定年も近いので部長の横に座ってるだけだよ。」
と嘘までついた人です。

私の東京での業務は、全て無視された訳です。

・K氏に内示で嘘をつかれた事

・業務引継ぎ相手を明示してくれない事

 

これは、報復人事でありモラルハラスメントである。と私は、人事部に
3月末頃メールと面談で訴えていました。
K氏との面談内容を録音し、一部を提出もしていました。

出来うるだけの訴えをしながら会社に決められた異動を受け入れ、人事部の
リアクションを待っていました。

でも........。
スルー されました..........。

GWもいくらか過ぎた頃、夜遅く帰宅の途中考えました。

名古屋支店での溶け込めない違和感。
25年近く勤めた自分の存在を全否定する人事部。上司。

様々な要素を踏まえて私はある決断をしました。

「転職するしかない。会社を辞めよう。」

私は、名古屋に来てから通院していた精神科の主治医にこの決断を報告
しました。

 

名古屋支店 業務引継ぎ

こんにちは あぽろ です。

本格的に名古屋での業務引き継ぎが始まりました。

ゲームの商品担当は、何故か全ての情報をExcelで処理する様です。
5,000行以上のデータを基幹システムから吐き出して条件付き抽出することも

しょっちゅうです。

前任者は、神掛かったテクニックを披露してくれます。

スゴい!

その一言です。


Excelのテクニックもそうですが、基幹システムで出来上がったデータを
Excelだけで更に作り替える、その労力に舌を巻きました。

「何故、Accessを使わないのか?そもそも分析するなら基幹システムの
要件定義を変えようと考えないのか?」

そんな事は、今は口に出来ません。

何せ私は、全く商品を知らない立場。
尚且つ会社で超がつくほどの古株の癖に平社員として東京から左遷された
身ですから…。
(卑屈な様ですが、懇親会で周囲から見られる空気で感じた事です。)

そして、何故か上司でもない同じチームの店舗指導担当者から振られる仕事......。

店舗が売場変更するなら現地まで出向いて商品陳列までしてあげる

のが名古屋の習慣だそうです。

そして皆がなんとなーく深夜残業。
そりゃあ皆ストレスが貯まります。

狭い事務所内でスタッフ達のギスギスした雰囲気が空気を淀ませていました。

 

左遷先 名古屋に着任 初日

こんにちは あぽろ です。

とうとう左遷先の名古屋支店着任初日です。

いきなりチーム別の会議でこれからの仕事の割り振りです。

しかし。。。。

私は、東京の本部で店舗設備調達や設計を長年していた古株。
今回の職務は、ゲーム(PS4や3DSPSV)の商品担当.......。

職務があまりにも違い過ぎて全然頭に入りません。

そして、苦しんだのが社内の業務システムです。

商品担当者用はとてもたくさんあり、すべてが非常に複雑なのです。
ずっと嫌な汗をかきつづける始末でした。

 

そして、もう一つ滅入ったのが、事務所の狭さ。
東京本部では、1フロア300坪ぐらいで8フロアほどあったのが
名古屋は1フロアのみで40坪.........。

 

この物理的な閉塞感は、心理的な圧迫が相当ありました。
(これも後々かなりキツく伸し掛かってきました。)