うつ病40代サラリーマンの休職日記

東京から名古屋に左遷されうつ病になったサラリーマンの闘病記です。適応障害で異動願いを出しています

休職期間終了間際。ついに東京への転勤異動が決まりました!

こんにちは  あぽろ  です。

とうとう3月になってしまいました。
私の休職期間は3月15日までです。
 
そして、人事部からの内示が発表されるのは3月中旬。日程は不明との事。
正直どうなるものやらと毎日胃の痛む思いをしていました。
 
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※ついに3月1日に精神科の主治医しびれを切らして
「一月初旬に適応障害うつ病、東京に戻すべきと診断書を出したのに無視するのか?」
と半ば呆れ顔で言い放ちました。
 
自宅に帰り主治医に言われた事をそのまま人事部担当者に伝えました。
 
人事部担当者からは、すぐに連絡がありました。
 
「東京の部署に人事異動ほぼ決まりです。」
「主治医の治療方針は尊重します。」
「でも、正式内示ではないので、内緒にして下さい。」
「ただ新部署のリーダーが面談したいと言ってます」
 
不思議な根回しですが、乗りました。
新部署のリーダーもメンタルを病んだ事があるのを知っていたので、理解して貰えそうに感じたのです。
 3月3日には、面談して私の復調に様子を見てもらいました。
幾分安心したようです。
 
正式な内示は出ていませんが、かなりの前進で手応えを感じました。
どうやら4月からは東京で復職出来そうです
 
この半年間、いや1年前の左遷内示を受けた時からの出来事が頭に走馬灯の様によぎりました。
長かった…。本当に長かったです。
25年今の会社に勤めていてこれほど長く感じた1年は初めてです。
 
約半年間の給料や評価は棒に振る事になってしまいました。
しかし、全く不本意な左遷人事で名古屋に転勤し数々の屈辱を味わった事を軌道修正するには必要な時間だったのかも知れません。
 
今は、死ななくて本当に良かったと思っています。
 
ここでブログを綴り出したのも、実は半分「遺書」のつもりで綴っていました。
 
私が、突然自殺してもこのブログが発見されれば、私に何が起こり、どんな心境を抱えて人生の幕を閉じたのかが家族や関係者に伝わる、と考えていたのです。
 
私が、うつ病となって苦しみながらたどり着いた答えをまとめます。
1.死なない
2.会社を辞めない(正社員の地位を手放さない)
3.図太く開き直る
 
偉そうな事を言っていますが、うつ病緩解した訳ではないので東京本社に戻れば、また調子を崩すかも知れません。プレッシャーも大きいと思います。
それでも、半年休み続けて掴んだ上記3つの答えを胸に刻んで立ち直ってみせる。
 
そんな前向きな心持ちになれました。
一度でもこのブログをご覧頂いた方々及び、SNSで知り合った方々に心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
これからは、引越の準備をじっくり進めます!!!
 
3月中には、東京に戻ってみせます!
 
■ 散歩の途中に見つけたお寺のおことばです。身に染みました

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■本格的な復職に向けてこころの準備を始めました。

うつ病・躁うつ病で「休職」「復職」した人の気持ちがわかる本 (こころライブラリーイラスト版)

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図解 やさしくわかるうつ病からの職場復帰―復職を成功させるポイント

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■引越を期に今まで様々なものへの執着を今回さっぱり全て捨てようと思います

モノも気持ちも溜め込まない!  夫婦の断捨離

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人事部との復職面談終了、東京に戻れるかも知れません

こんにちは あぽろ です。

2月23日、人事部担当者と内示前の最終面談を行いました。
 
前日の夜、理由の解らない恐怖感で心臓がバクバクして、胃がキリキリと痛みました。
 
朝起きて身仕度を整えながら不思議な気分になりました。
休職前と同じ時間帯に仕度をして、会社の近くに出掛けた訳ですが、何も考えず坦々と体を動かせたのです。
 
何か過去の嫌な感情の記憶が無くなった心持ちです。
天気が良かった事も影響しているかも知れません。
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人事部担当者との面談場所の喫茶店に着きました。
まだ、担当者は来ていません。
コーヒーとたばこを飲みながら待ちます。
ここでどっと猛烈な不安感が襲って来ました。
 
「何を言われるだろう」
「東京に帰れないと言われたらどうしょう」
 
悪いことばかりよぎります。
 
人事部担当者がやって来ました。
気持ちを奮い起たせて、にこやかに挨拶をして最近の体調や担当者が忙しそうなところを気遣います。
 
そして、本題に入って行きました。
担当者が私の体調自体は良好になっている事を見極めたのでしょう。
 
「基本的には東京に1度戻って頂くつもりです。」
「個人に向けた対応というより春の定期異動に合わせて然るべき部署に異動、という形を取りたい。」
「よって、公平性の観点から必ず東京に異動出来るとはまだ思わないで欲しい。」
 
人事部担当者は、私に配慮しながら人事部としての予防線を張って前置きしました。
 
そして今度は、私に問いかけました。
 
「東京に戻れるとすれば、どんな仕事ができそうですか?」
 
私は少し考えました。半年休職した人間が今、どんな仕事へのモチベーションをもっているか推し量って来ている事をはっきり感じたからです。
 
「左遷前まで仕込み始めていた新しい事業を立ち上げたいです。」
「会社にとって必ず必要になる事なので左遷されるとも知らずずっと準備していたのです。」
 
ちょっと担当者の表情が変わりました。
新しい事業、と言うものに興味を引かれた様です。
 
「その事業は実施すればどれぐらいで収益化出来そうですか?」
「どうやってその事業で会社に利益貢献するのですか?」
 
結構、担当者が食いついてくれたので事細かく説明しました。
全国のお店のボリュームを使ってこそ、なし得る事で有ることも詳しく説明しました。
 
ここから、人事部として想定していた復職部署について詳しく教えてくれました。
 
・東京本社勤務出来る部署を選定
・いきなり外回り営業では心身への負荷が大きいので避けたい
・グループ会社も含めて東京本社内で勤務出来る部署を選定
 
以上の条件で、いくつかの部署を具体的に教えてくれました。
 
私はそれぞれの部署の部門長の名前を上げながらどの部署でも部門長との関係性が悪くない事を強調しました。
 
人事部担当者としては、ある程度の手応えを感じた様子です。
 
また、再度念押しされました。
 
「伺った話から、各部署と調整を重ねて会社全体での異動計画がまとまるまで、つまり内示発令するまで待って欲しい。」
 
「東京本社に戻る事を最優先するなら今あげた部署以外になっても理解して欲しい。」
 
私は、了承しました。
ただ面談の最後に付け加えました。
 
「もう、家族も抑うつ状態で通院しており、このままでは家庭崩壊するので部署問わず東京に戻れる事が解れば連絡が欲しい。」
 
これには、人事部担当者としての役割ではなく人として同情をしてくれた様子でした。
ただ、早期の連絡は約束してくれませんでしたが…。
 
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ここで面談は終了しました。
じっくり2時間ほど話をしたでしょうか。
 
気付けば私は、全身にじっとりとした冷や汗をかいていました。
意識していませんでしたが、心臓がまだバクバクして動揺していました。
 
担当者を名古屋地下鉄まで案内し、そのまま名古屋の街中をふらふら彷徨いました。
先ほど迄の面談内容をずっと頭で反芻し続けました。
 
微妙ですが東京に戻れそうな感触は確かに得ました。
但し、人事内示発令がされるのは3月中旬です。
まだ、半月ほど先です。
人事部担当者は調整に努力してくれるのは確かな様です。
信じていいのでしょうか?
いや、信じるしかないです。
 
人事内示発令までこれからの半月ほどをどんな心持ちで居ようか。
家族にどう説明しようか。
手応えと肩透かし、両方を胸に抱き私も帰宅の為、名古屋地下鉄に乗り込みました。

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うつ病を直すにはうつ病になったまでと同じ期間が必要です

こんにちは あぽろ です。

もう少し、もうちょっとのきっかけでうつ病が治りそうな気がしています。
 
昨年の3月14日に突然左遷内示を受けました。
名古屋に転勤し本当に体が動かなくなってうつ病と診断されました。
休職しだしたのが9月16日
 
だいたい6ヶ月で完全にダウンしました。
 
現在休職から5ヶ月を越え始めて気が付きました。
 
うつ病は、ダウンするまでにかかった時間だけ復調するまで時間がかかる。」
 
これはあくまで私の感覚なのですが、急性のうつ病であれば当てはまる事例が多いのではないでしょうか。
 
うつ病は治りかけが、とても重要で危険を伴うとも聞きます。
(自殺の危険性が上がる時期だそうです)
 
左遷により強烈な怒りのストレスから、転げ落ちるように体調が悪くなった事を思い出すと、そろそろ今は元の生活が出来そうな気分です。
 
自分の体調が戻りつつあるなか、残るは東京に職場異動する事が出来るか。
これが一番の問題です。
 
人事部は、ずっと東京に戻りたい私の意思を無視してきました。
 
私のうつ病治療は、次のステップに踏み込んでいます。
人事部との折衝がとても重要です。
2月23日 人事部との内示前の最終面談があります。
どうやらここで私と人事部との決着が一つ着きそうな雲行きです。
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今は、悪い予感が頭に巡る度、猛烈に気持ちが落ち込みます。
復調した体調に反したこころの反応です。
胸が苦しく、胃がジリジリと焼ける辛さです。
 
【名古屋の主治医は、治療には東京に戻るしか治療の術は無い。】
診断書で断言してくれています。
しかし…。
【人事部は、診断書を見てもまだ、アクションを起こしていません。】
 
この溝が仮に埋まらなければ、私は最終手段を取るしかありません。
 
労働基準監督署 渋谷支部に 理不尽な人事降格と左遷でうつ病
 なった事への労災申請です。】
 
労基署には以前事情を電話通報し、社命、個人名も明かし、労災申請手順は指導頂きました。
 
うつ病発症の9月16日から半年遡って、社内の関係者全てに事情聴取
ならびにメールや指示などの記録を会社に監査を入れるそうです。
そうなれば、会社の実名、私の実名、私を左遷した元上司の実名も全て
明らかにして、社会に問題提起したいです。
 
社長一人の「夢しか実現しない」スローガンにどれだけの社員が犠牲に
なっているか、東京方面のユニオンにも手を廻す手はずは済んでいます。
 
人事部面談まで、あと少し。今夜も震えながら眠りにつくしかなさそうです

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うつ病改善。でも東京に帰れるかが問題です

こんにちは あぽろ です。

早いもので、うつ病で休職し始めて5ヶ月が経ちました。
 
実は時折、自分はうつ病が治ったのではないか?
と感じる事があります。
 
それは、東京に帰って元の職場でなら今、自分はあんな事が出来るだろう、こんな事が出来るだろうと想像出来る様になったからです。
 
過去を悔いず、未来を憂えず という精神科養生に関する本に書いていたことが実感出来ることが増えたのです。
 
とても大きな前進だと思います。
 
ただひとつ問題もあります。
私は、現段階では名古屋支店の人間であり、まだ東京に戻れるとは決まっていない事です。
 
もし、仮に名古屋支店にまた勤務せよ、と指示されたら…。
そう考えるだけで寒気、吐き気がしてきます。
 
不思議な心持ちなので、今の気持ちを精神科医にそのまま打ち明ける事にしました。
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「最近は、気持ちも安定して頭のもやが晴れたようです。」
 
「東京勤務なら明日からでもプレッシャーを感じず出勤出来そうな気分です。」
 
「朝、普通に起きてそのまま喫茶店に行って新聞読んだりしてます。」
 
私は、診察室で最近の心持ちを説明しました。
主治医は慎重に、でもにこやかに私の表情を観察していました。
少々の間を置いて答えました。
 
「もう、大丈夫だね。」
 
「ところで、名古屋での適応障害うつ病と診断書出しているのに会社からは連絡は無いの?」
 
そうなのです。
 
うつ病の症状が治まっても、本来の原因であった元上司に左遷されてやってきた名古屋から東京に帰ってよいかどうか。
人事部との面談の連絡すら来ないのです。
 
主治医は続けます。
 
「困ったもんだね。東京に戻る事でうつ病の決着が着くのに。」
 
「東京に戻れるとの確認さえとれればいつでも復職許可書を書くよ。」
 
「医者が、こう言ってると人事部に伝えてみて下さい。」
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体調は大きな前進をしていながら、人事部の連絡待ちという微妙な結果になってしまいました。
適応障害うつ病の所見で東京に帰れば完治の可能性が高い という診断書を提出してから1ヶ月以上経っていました。
 
帰宅してから人事部担当者に連絡しました。
もちろん主治医から東京勤務ならすぐにでも復職許可を出せると言われている事も添えてです。
 
人事部担当者の口は重いものでした。
 
「確かに面談した方がいいですね。」
 
「取り合えず来週の火曜日辺りに予定調整してみます。」
 
あまり乗り気で無いのが電話口から伝わって着ます…。
 
体調が戻っても、結局運命を握っているのは人事部なのか…。
 
少しやるせない気持ちになりました。
 
しかし、現段階で私に出来ることはここまでです。
一週間後の人事部面談。
それまで、まだ心を休ませて貰えない様子です。
 
環境さえ整えば、人生の再スタートがきれるのに…。
忸怩たる思いを抱えながら1週間待つこととなりました。
 
せめて引越しの準備だけでも進めたいものです。
 
世の中の普通と言われる会社なら、もう少し臨機応変に対応してくれるものなのだろうと切ない気持ちになってしましました。

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本当は怖い SNS 傷付けられた事は無いですか?

こんにちは  あぽろ  です。

私は、うつ病で休職し始めてからSNSをよく利用するようになりました。
 
いわゆる病み垢と言われるアカウントを作って日々の不安やネガティブな気持ちを吐き出す為に使っていました。
 
そして、ここに記しているようなブログで自分の置かれた理不尽な処遇についてもなぜそうなったかも記しています。
 
しかし最近SNSについては恐怖心が芽生えて来ました。
 
私の場合病み垢とは別に健康だった頃から世間の情報収集の為に使っていたアカウントもあったのですがその両方で知り合った方が重いトラブルを抱えてしまった事を目の当たりにしてしまったのです。
 
気軽に病んだ気持ちを吐き出す病み垢では、ある方がアカウントの乗っ取りに利用され何故か誹謗中傷を受け続けています。
 
利用されてしまった方も、病み垢として私と同じような気持ちを吐き出していただけなのに、ある日、現実世界では見ず知らずの方に一方的に攻撃されてしまっています。
 
現実世界ならケンカ別れしてお仕舞いでも、SNSではログインする限り執拗に粘着されて追いかけ続けられます。
 
そして怖いのは、アカウントは複数作って別人格として同時に攻撃することも可能なのです。
誰が対象者か区別がつきづらい事を考えると正に恐怖です。
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もうひとつのアカウントで知り合った方は、SNSの中だけでなく現実世界でも接点をもった方から本当のストーカー行為をされています。
 
警察に通報され直接刑事から電話で警告の電話を受け、裁判所に訴訟も起こされてとても困っています。
 
訴訟では金銭の請求までされ、仕方なく弁護士に相談して裁判所に向けて答弁書まで作成、提出しなければならなくなりました。
 
私は、会社では契約書の締結業務や家族が関わった係争案件で見聞きした経験から多少のアドバイスを行っていました。
 
裁判所まで巻き込み、警察にも通報されたりすると一般人には仕事も手に付かなく成るほどの恐怖だと思います。
 
そして、弁護士に相談、答弁書の作成まですると結構な費用が発生します。
ストーカー行為をしている方にはこの事自体が目的かも知れません。
 
ひょっとしたら、ストーカー行為をされている方もSNSを利用していなければ、そんな嫌がらせをする方とは知り合わなかったかもしれません。
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私は、どちらの出来事にも当事者ではありませんでした。
しかし、見聞きするだけでも恐ろしくなりました。
 
SNSとはネットの中だからこそ繋がり合える方と、一定の距離を置いてコミュニケーション出来るものと思い込んでいましたがそんなに優しいものではないようです。
 
ネットに、SNSにログインするだけで自分を攻撃する人がすぐ側に居るかも知れない。
 
そう考えるだけで恐怖です。
ここ最近は、SNSでつぶやく事自体に躊躇するようになって来ました。
 
私自身の近況は会社復帰の微妙な時期です。
不安な気持ちを色々つぶやきたい事はあるのですが、SNSで言葉を発する事がまた、不安の種になるかと思うとつい押し黙ってしまいます。
 
他人を中傷しない。人に優しいSNSとは存在しないのでしょうか?
 
他人を攻撃する事に快感を覚える人が居なくならない限りそんなものは実現しないのでしょう。
 
誰も傷ついて欲しくありません。危険を感じたらネットにログインしない勇気も時には必要なのかもしれません。

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サイト別 ネット中傷・炎上対応マニュアル

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左遷先の名古屋から東京に戻るイメージ作り【明るい妄想】

こんにちは  あぽろ です。

早いもので、東京で名古屋への左遷内示を受けて1年近く経ちました。
人事部との交渉中ですがとにかく東京に帰ろうとしています。
 
少しでも願望を実現する為に、未来に向けて明るい妄想をする事にしました。
 
精神養生の本で「過ぎた過去を悔やまず、未来を憂えず」という言葉があります。
明るい未来を具体的にイメージする事が大切だと思うのです。
 
その意識付けの為に東京の何処に引越しようか勝手に妄想しています。
只の妄想ですが、住む土地、引越物件を探すのは楽しいものです。
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まずは、電車の路線からどの沿線にするか考えます。
 
左遷前は、中央線沿線に住んで居ました。
昔からよく遅れる、よく混む、よく飛び込み自殺がある と有名な沿線です。
 
なので、今回は候補から外します。
勤務地は渋谷ですので、東京都内の西方にする事とします。
23区内、都下は問わずに考えます。東京の家賃はとても高いので山手線沿線はとても無理です。
 
渋谷乗入れなら、東急田園都市線が人気ですが、これも非常に混む沿線なので避けておきます。
もともと、パニック障害を持っているので少しでも空いている沿線を考えます。
【候補】
・京王井の頭線
 
だいたいこのあたりが妥当な感じです。
 
沿線が決まれば、最近はネットで一気に物件探しが出来るのが便利ですね。
私は、SUUMO と マイナビ賃貸 のサイトやアプリで検索してます。
 
猫さんが2匹居るので最優先条件はペットが飼える物件です。
 
サイトで条件絞り込み出来るのが便利です。
 
・ペット飼育可
・45平米以上
・独立洗面所 
・風呂トイレ別
・屋内洗濯機置場
 
だいたいこんな条件で沿線毎に検索。
良さげな物件があれば間取りの確認。
周囲のスーパー等との距離確認
 
こうしてると、もうほんとに引越す気分になれます。
極めつけは、物件周辺をGoogleストリートビューで散歩。
 
もうそこで住んでる気分になれます。
 
・朝はどのルートで駅まで歩こうか?
・途中どこのコンビニでタバコを買おうか?
・通勤電車でどう過ごそうか?
・帰宅時は駅周辺で買い物でもしようか?
 
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頭の中は、もう東京での暮らしが始まって来ます。
現実逃避ではありませんが、明るい未来のイメージを明確にして実感を高めて現実のものとしたい。
そんなイメージ作りを日々実行しています。

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傷病手当金申請 2回目は会社が止めていました

こんにちは あぽろ です。

 
傷病手当金の2回目の申請を行いました。
1月の正月休み明けの6日です。
1回目は12月に申請して月末入金されました。
 
正月休み明けでもあるので手続きが進んでいるか確認したかったのですが人事部も忙しいと思ったので申請したままでした。
 
2月に入り数日経って入金されていなかったので、手続き上の不備が無かったか、今どの状態か確認することにしました。
 
健保組合にまず電話しました。すぐに確認が取れました。
 
「健保組合に申請が届いたのが1月25日なのでまだしばらく入金までかかります。」
との事でした。
 
驚きました…。  1月6日には人事部に提出出来た傷病手当申請書が25日まで健保組合に届かなかったのです。
 
健保組合の窓口にはそれ以上確認しようがありませんでした。申請書到着から1週間ではどうにもならないです。
 
納得出来ずに今度は、東京の人事部に電話で問い合わせました。
 
何故、傷病手当申請が3週間も処理にかかったのか理由を知りたかったのです。
 
人事部担当者に念のため、いつ傷病手当金申請を健保組合に提出したか確認しました。
 
「1月25日に提出しています。」
 
健保組合と同じ答えでした。
 
この人事部担当者は1回目の傷病手当金申請の際も
 
「急がれても個別の事案には対応致しかねます。」
 
との官僚答弁の様な冷たい対応をした女性なので嫌な予感で胸がざわつきます。
 
気を取り直して問い直しました。
 
「1月6日に人事部に提出していた傷病手当金申請が何故3週間も健保組合に出来なかったのですか?」
 
担当者は答えます
 
「人事部所定の手続きをとっているだけで理由はお答えしかねます。」
 
やはり官僚答弁です。
もう少し詰めて聞きました。
 
「では12月の傷病手当金申請は人事部に届いた翌日に健保組合に発送出来ていたのはなぜですか?」
 
担当者は答えました
 
「たまたまです。」
 
「人事部が対応している手続きについてあなたに説明する事は何もありません。」
 
「これ以上、個別に聞きたいなら人事部の休職担当者と話をしてください。」
 
前回分の手続きを持ち出されて明らかに機嫌が悪くなった様です。
 
「休職担当者に相談しないと傷病手当金申請をスムーズに処理できないなら、あなたのいる意味はあるのですか?」
 
今度は私も少々気分を害したので反論しました。
 
何故か身内の人事部と言い争っているかの様になっています…。
 
「これ以上、あなたに話すことは無いので電話を切ります。」
 
「それは、おかしいでしょう?」
 
とやり取りしたとたん何故か、電話を保留にされてしまいました…。
 
 
私も何だか虚しくなって、ここで電話を切りました。
 
 
私は、単純に12月に処理してくれた時と同じスピードで処理してくれなかった理由があれば聞きたかっただけなのです。
 
翌日の夜、休職の人事部担当者から電話がありました。
 
傷病手当金申請への会社側の証明捺印は何故か一旦外部業者に委託しているそうです。
この為、外部業者からの返却を受けてやっと健保組合に提出するそうです。
 
道理で時間がかかるはずです。
 
傷病手当金申請の会社証明欄は勤務していない期間の記入と署名捺印するだけです。
外部業者に委託する意味は全く理解出来ないですが私の会社はそんな仕組みだそうです…。
 
月初に精神科で医師の所見を貰い速達で会社に申請書を送っていた事がとても虚しくなりました。
 
社会の病気への無理解がこんな身近にもあるのだと思い知らされどっと疲れました。
 
知らないともらえないお金の話

知らないともらえないお金の話

 

 

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うつ病 家族の息抜きで伊勢神宮に参拝しました ②猿田彦神社

こんにちは あぽろ です。

伊勢神宮の内宮を参拝して、徒歩10分程のところにある猿田彦神社にも参拝

しました。

猿田彦神社は、「みちひらき」の神様との事で有名だそうです。

何か物事を始めようとした時に、全てを最も良い方向に導いて頂け、

みちがひらいていく という事だそうです。

新しいこと、何かを決意した時に参拝すると良いそうです。

合わせて「方位の神様」でもあるそうで、境内の「方位石」に刻まれた方位の

自分の運気を上げたい方位に触って運気を上げる事が出来るそうです。

 

今、私は名古屋から東京に帰ろうとしており、部署も東京本部に異動したい

と強く願っておりますので、猿田彦神社の方位石には是非触れておきたかった

のです。

名古屋から東京ですから、東から北東の方向。

刻み込まれた方位を手に跡が残る程強く押し付けました。

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境内正面の人が集まっている所に「方位石」があります。

伊勢神宮そのもの程の規模こそありませんが、厳かで立派な神社です。

 

境内を散策しますと不思議な岩がありました。

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国歌「君が代」の中で詠われる「さざれ石」そのものだそうです。

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言葉に表せない、清涼な空気を感じ、畏敬の念を感じながら参拝を終えました。

夕暮れで寒くなりましたが私だけでなく、家族にもなにか不思議な満足感が

ありました。

伊勢神宮からの帰路、高速道路を走りながら家族と話をしましたが、様々な

ぎくしゃくとした感覚が少し解消した気がします。

 

久しぶりの長距離運転の為か、帰路の高速道路でパニック障害の発作が出て

ソラナックスという精神安定剤を沢山飲む事態となり恐怖感が強く出ましたが

何とか休職中の初めての遠出を終える事が出来ました。

 

うつ病 家族の息抜きで伊勢神宮に参拝しました ①内宮

こんにちは あぽろ です。

先日来、家族とギスギスする事が増えたので、気分転換に思い切って家族を連れて

遠出する事にしました。

名古屋に左遷されてから土地に興味も無く遠出は一切していませんでした。

 

目的地は、伊勢神宮 にしました。まだ1月中でもありましたので

丁度よいかと思ったのです。伊勢なら名古屋でもないですし。

 

私の家から片道150キロ往復300キロのそこそこの長距離ドライブです

時々高速道路でパニック発作を起こす私としては若干不安はありましたが

家族のストレスを考えると行くべきだと考えました。

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2時間半程の時間で伊勢神宮まで辿り着きました。まだまだ寒いです。

出店の甘酒で体を暖めながら神宮の内宮に進みました。

五十鈴川という世俗との結界を越えると、確かに素晴らしく清涼な空気に

包まれます。

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全て神木かと思う程の巨木に圧倒されました。

通常の手水舎とは別に伊勢神宮ならではの五十鈴川で手を清めました

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更に奥に進むと祈祷の受付までありました。

住所、氏名まで読み上げ祝詞を上げて神主さんが祓って頂けるそうです。

すぐに申し込みました。

撮影禁止の祈祷所に通され、正座で神主さんをお迎え、祝詞の読み上げ中は

周りの方々も自然と手をついて拝みます。

所謂、土下座のような姿勢ですが、こころから神様への畏敬の念から頭が下がります

読み上げられたお札を受け取ると、こころが清められた気分になりました。

 

続いて内宮の拝殿もお参りしました。

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実は、内宮の拝殿には賽銭箱はありません。

ここで個人の願い事はしないきまりでただひたすら祈りを捧げるところだそうです。

とは言え賽銭を投げる方が余りに多いため仕切り板とお金で拝殿内が穢れないように

白い布を敷き詰めていました。

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本当に見上げるばかりの巨木です。思わず抱きついてしまいます。

神木なのでしょうか?式年遷宮の際はここの敷地内のある聖なる木から切り出して

拝殿など作るのかも知れないですね。

 

内宮への参拝が終わって、近所のある猿田彦神社にも参拝する事にしました

猿田彦神社は導きの神様らしく、私の追い詰められた境遇から導きを頂きたい

と強く思っていたのです

【次回に続きます】

うつ病休職中に家族とギスギスしませんか?

こんにちは あぽろ です。

 
うつ病で休職し始めて4ヵ月が過ぎようとしています。
家で静養する時間が多いです。
 
当然、家族と一緒にいる時間が増えました。
そして最近は時々険悪な空気になる事が増えています。
 
先日、元気そうだから資格の勉強しろ、東京で転職活動しろ、とやかましく責め立てられました。
 
先が見えないのはつらいだろうけど俺の方がつらいのが解らないかなぁ。
 
つい愚痴りたくなります。
 
せめて家ではリラックスしたいのですが、
家族がイライラして
 
「何で名古屋なんかに居なきゃいけないんだ。」
 

とキツイ言葉で責められました。更に気持ちが落ちます。

名古屋に来たくて来た訳じゃないのです。
 
現在も会社の人事部へ適応障害の診断書を提出し東京に異動する交渉をしている
最中です。
 
「異動出来なかったらどうするんだ。」
 
と交渉中に責められても困るだけです。
 
資格の一つでも勉強しろ、と言われてもそんな気力があれば復職するのです。
 
今の名古屋での生活が嫌なら一人で東京の実家に帰ってくれても構わないのです。
しかし、それを言うと家族は逆ギレします。
逆ギレするタイプの家族にはとても気を使って疲れます。
 
資格さえあれば就職出来る。
 
というバブル時代の発想が抜けない家族には、今の私は怠けているとしか
見えない様です。
しかし、転職活動は10社以上しました。
全部書類で却下されました。
この現実は家族には理解出来ない模様です。
 
派遣ならOKでも40代後半で正社員での採用がいかに難しいのか解って貰えない辛さは休職中の方なら解ると思います。
 
会社に席がある間は種々の権利があるので決して逃げで転職せずにじっと耐えて
復活するチャンスを待つべきだと私は思っています。
 
世の中厳しいです。
長年同じ会社に勤めた以上、自分を一番高く売れる会社は今の会社です。
 
自分の会社との交渉が一番難しい交渉だと実感していますが、何とか交渉を成立させ東京へ戻りたいと忍耐の日々を過ごしています。

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